虐待される人は自分を客観的に見れないし、自分の存在を安く見積もる

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虐待される人は自分を客観的に見れないし、自分の存在を安く見積もる!大切にできない

 

虐待されてトラウマのある人は考え方がみんなとちょっと違う気がします。

私の経験を話しますね

 

この記事で書いた出来事から抜粋します

 

もしも、他の女の子が顔を叩かれて笑われていたら

出来事

もう一度話をしますけど、小学校一年生の時に計算ができなくて母に顔を叩かれたんです。

 

母は謝りもせず、膨れ上がって紫になった唇を見て2歳年下の弟と笑ったんです。

 

登場人物が他の女の子だったら

もし、この話の登場人物が女の子だったして、この話を客観的に聞いたら私の反応は

 

なんてクソみたいな母親なんだろう

この女の子を助けてあげないといけない!

 

と即思います。

 

一方、登場人物が「私」になったら

私が登場人物だった場合、私はどう考えるか?

 

私が計算できないのが悪い

叩かれるのは当たり前

笑われるのも当たり前

場を和ませるために私も一緒になってみんなと一緒に笑わないと

 

 

泣きながら笑います

誤魔化そうとして笑います

自分の失敗だと思って

 

 

虐待された人は自分の存在を安く見積る

自分に存在価値がない

自分が生きててもしょうがない

自分は社会の役に立たない

 

ということを徹底的に教え込まれる(虐待)んですよね。

 

だから、自分は役に立たないんだと消えたくなるんです。

 

このままでは生きていけないですよね。

どうするか?

 

 

「自分が悪いと思っていたこと」を客観的に考える

心の奥底で「なんだかおかしい扱いを受けている」というのに気づいているんですよね。

でも、それにフタをしてしまいます。

自分が悪いんだと受け入れます。

 

最初のうちはいいんだけど、時間が経つと、処理しきれなくて病んでしまいます。

あとから闇が深くなります。

 

なので、最初の方で、私がしたときみたいに、

 

登場人物が「自分」の時と

登場人物が「別の子」だったら

 

の自分の反応を考えてみて。

そしたら、客観的に自分が置かれていた状況を見ることができると思うよ。

 

本当に悪いことをしていたらはんせいしないといけないけど、理不尽な扱いをされてたら怒ってもいいんですよ。

自分の気持ちを抑え込まなくてもいいんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

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