幸せの押し付けが苦しい—うつ病になると「幸せ」が嘘っぽく感じる理由

みんなはそれで幸せなの?私は何かわからないな

「みんなのいう幸せ」がしっくりこない

テレビやSNSでは、「幸せな家庭」「幸せな人生」「幸せを呼ぶ考え方」…といった言葉が溢れている。

でも、うつ病になると、それらがすべて薄っぺらく感じてしまうことがある。

「これは幸せだよ」と言われても、心の中では「それが本当に幸せなの?」と疑ってしまう。

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うつ病になると、幸せが嘘っぽく見える理由

ポジティブ思考が押し付けられる → 「こう考えれば幸せになれる」と言われるけど、そう簡単じゃない。
本当に求めているものが見つからない → 「いい家」「いい仕事」よりも、もっと決定的な何かを探している。
寄り添うふりをしてポジティブを強要される → 「元気になってね」「もっと前向きに!」と無理をされる。

うつ病のとき、人はただ「前向きになれない」のではなく、そもそも幸せを本質的に信じられなくなることがある。

「幸せになるには○○が必要」って、本当にそうなの?

「家族愛が足りないからうつ病になる」と言う人もいる。
「運動不足が原因」と言う人もいる。

どれも正しいのかもしれない。
でも、違うのかもしれない。

なぜなら、満たされているはずなのに、満たされていないという矛盾を感じることがあるから。

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「幸せの形」が決められていることが苦しい

世間では「幸せ」の定義がすでに決まっていて、それに当てはまらない人は「なぜ?」と問われる。

でも、うつ病を経験すると、それが本当に正しい形なのか疑問に思えてくる。

「幸せとはこういうものだよ」と押し付けられるほど、その世界から離れてしまうのだ。

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何を探しているのかわからない。でも何かを探し続けている

うつ病のとき、ただ「いい暮らし」「いい人間関係」を求めるわけではない。
もっと些細なものなのに、決定的な何かを探している。

それが何かわからないまま、今日もループの中を彷徨っている。

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